「金賢姫」の参考的意見
- 外心 豊田
- 2017年2月18日
- 読了時間: 9分
金賢姫元死刑囚「工作員とは思えない」
毎日新聞2017年2月17日 20時20分(最終更新 2月18日 01時00分)
毎日新聞の書面インタビューに応え 「請負殺人」の見方
【クアラルンプール西脇真一】金正男氏がマレーシアで殺害された事件について、1987年の大韓航空機爆破事件の実行役、金賢姫元死刑囚(55)が毎日新聞の書面インタビューに応じた。金さんは自身の経験から、女2人がすぐに逮捕されたことについて「厳しい訓練を受けた工作員とはとても思えない」と「東南アジア女性を雇った請負殺人」との見方を示した。
金さんは北朝鮮の情報機関「対外情報調査部」(当時)に所属し、工作員の訓練を受けた。
ベトナム旅券を所持した女が現場の空港に戻って逮捕されたことについて「いぶかしく思った。(2人は)北朝鮮で厳しい精神や肉体の教育、訓練を受けたのではないようだ」と指摘した。また、2人が「いたずらだと思った」と供述していることについては「もしそうなら現場から離脱しなかったはずだ」と推測。女性を使ったのは「相手が警戒心を持ちにくいという心理を利用するため」で、自身も日本人女性に偽装したが「接触した人から疑いを持たれなかった」という。
また、金さんは今回の事件が起きた13日という日付に着目。1997年2月15日、北朝鮮を脱出してソウル近郊に住んでいた故金正日(キム・ジョンイル)総書記のおい、李韓永(イ・ハンヨン)氏が銃撃され、後に死亡した。捜査当局は北朝鮮工作員による事件とみているが、未解決だ。金さんは「偶然かもしれないが」としつつ、両事件が16日の金総書記の誕生日「光明星節」の直前に起きたことを指摘し、北朝鮮との関連性を強調した。 (記事引用)
その記事、まあ、「超プロ」からの意見、として説得力はある。とおもいつつ、それ以前に本人が生きていたことに驚く。 にわかにクローズアップされているようだ。 すでに過去の事件で、そのことをまったく知らない成人も多いとおもう。参考資料を集めた。 1.http://www.buzzbuzz.link/?p=110
金賢姫 現在 結婚と家族
金賢姫は今、現在、韓国のソウルに住んでいることがわかっています。
1997年12月に国家安全企画部(安企部、国家情報院の前身)に勤めていたチョン氏と結婚し2人の子どもをもうけている。
しかし、金賢姫の姑(夫の母)にあたる、キムさんによれば
2人が互いに好きで結婚したが、結婚生活は依然として大韓航空機爆破事件に縛られている」と声をうるませた。
2.
「大韓航空機爆破犯・金賢姫の家族、現在は北で…」
2012年01月30日14時49分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版] comment7 sharemixi
1987年に大韓航空(KAL)858機の爆破犯・金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員の家族が、地方に移された後、25年間にわたり徹底監視網の中で、生活に苦しみながら暮らしているという主張が出てきた。 金元工作員の家族が耀徳(ヨドク)政治犯収容所に送られたという従来の説とは違い、現在、住民たちの中で生活しているということだ。
29日の北朝鮮専門インターネット新聞「デイリーNK」によると、咸境北道清津市(ハムギョンブクド・チョンジンシ)で金元工作員の家族と付き合いがあったという脱北者は「金元工作員の弟と母が88年、平壌(ピョンヤン)から清津市駅前洞の古いマンションに強制的に移され、厳しい生活をしてきた」と伝えた。
この脱北者によると、金元工作員の父は3年前に病気で死去し、高齢の母は外出できず家の中で生活しているという。 金元工作員の父はアンゴラ駐在北朝鮮貿易代表部水産代表出身で、金元工作員が工作員に選抜された時から娘を心配して苦労してきた。 母親は開城(ケソン)の中学校の教員だったと伝えられている。 姉は亡くなり、弟だけが工場に通いながら母の世話をして暮らしている。
大韓航空機爆破事件後、金元工作員を担当した指導員が家を訪ね、金元工作員の写真をすべて持っていき、「(金賢姫について)いかなる言及もするな」と伝えたというのが、この脱北者の話だ。 当時、外国から急いで呼び戻された金元工作員の父も家族を集めて、「いかなる状況になっても絶対に意見を表現してはいけない」と注意したという。
その後、金元工作員の家族は平壌西城区域(ソソングヨク)のマンションに移された後、また現在の清津市青岩区域駅前洞の古いマンションを与えられて生活している。 金元工作員の弟は大学を中退したが、外国語大学を通った経験と努力で貿易機関の労働者身分で出発し、指導員職位に昇進したと、この脱北者は伝えた。 しかし業務中に問題が発生し、現在は労働者として左遷され、弟の夫人は市場で商売をしながら生計を立てているという。
一方、家族の消息に関し、金賢姫元工作員に数回連絡を試みたが、結局、連絡がとれなかったと、デイリーNKは伝えた。
金元工作員は最近、日本の産経新聞のインタビューに応じ、金正日(キム・ジョンイル)総書記の死去に関し、「金日成(キム・イルソン)主席の死去当時は、人民が受ける衝撃を考えて不安を感じたが、今回は人民のためにはよかったと思う」と話した。 また「大韓航空機爆破テロは金正日の指令だった」とし「張本人が事件を認めず、謝罪もなく死亡したのは遺憾」と述べた。
(記事引用〆)

ザッカーバーグのハワイ別荘地 氏が完敗した相手とは
島田範正 2017年01月27日 15:32
今週初めに、FaceBookのCEO、ザッカーバーグ氏がハワイ・カウアイ島に購入した別荘用の広大な地所を巡って、中に点在して残る小さな区画14箇所の持ち主に強制的に売りに出させるための訴訟を現地で起こし、ちょっとした騒ぎになっていることを紹介しました。
この訴訟は、1850年代の古い制度のもとで払い下げられた土地が子孫に綿々と引き継がれ、権利者が膨大になっているので、一挙解決を目論んでザッカーバーグ氏側が仕掛けたものですが、法的な話はハワイ独特でややこしいので関心のある方は前回記事をご参照ください。
で、地元では相当な反発が起きていたようで、ついにザッカーバーグ氏が白旗を上げ、①訴訟を正式に取り下げる②こうした訴訟の際に地元民を助けるためにNative Hawaiian Legal Corporation(NHLC)に寄付をする③土地と文化を守る話し合いの場に着くーーことになったそうです。
どうやら、この急展開を主導したのは日本人移民の血を引く州議会下院議員のカニエラ・イン(Kaniela Ing)議員のようなのです。
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ご覧のように若くてカッコいい。でも自身のホームページを見ると、大変な苦労人。貧乏から這い上がったとのこと。その彼が、世界6位の大金持ちをやっつけた構図が窺えて痛快です。
ザッカーバーグ氏の”白旗”を最初に報じたのは25日付けのBuzzfeed newsでした。彼からの文書をもとに、「ザッカーバーグ氏は訴訟を考え直す(reconsidering)と言っている」という見出しの記事を出しました。
それによると「ローカルコミュニティからの反応をもとに、訴訟手続きを考え直し、どうしたら前進できるかを議論している」「資産所有者の利益、ネイティブハワイアンの伝統の尊重、環境を守ることを我々は明確にしたい」「我々はカウアイ島を愛しており、このコミュニティの良きメンバーでありたいし、来るべき何世代にわたってこの地を守りたい」などとあったそうです。
この記事でザッカーバーグ氏側を非難した中心的存在として、前出のNHLCとともにIng議員が挙げられていたので、彼の発言を追って見ました。すると、相当に激烈な発言を、自身のFaceBookページで展開していました。非難相手が作ったツールを使うなんて、これも時代ですね。
例えばこうです。「札束を使って、ハワイの司法制度を曲げてまで地元住民に対するザッカーバーグのような大富豪を許すわけにはいかない」「ザッカーバーグに思い起こさせよう。ハワイでは他人に接するときはアロハの精神で話し合いファーストなのだと」「訴えてから話し合おうなんてありえない」
つまり、訴訟の取り下げがなければ何も進まないと主張したのです。それに止まらず、彼は州議会にザッカーバーグ氏のような行為を規制する新たな法案を提出するという声明を出します。それを伝えた地元メディアMaui Watchによると、さらに過激な表現で非難します。
「(かってサトウキビ農園で儲けた)sugar baronたちがハワイの土地を(脱法的に)何千エーカーも開発したのと同じように、ザッカーバーグは法の抜け穴を使っているのだ」
ここまで超有名人に向かって言い放てる人物に興味を持ちました。彼のホームページ情報を見て、ますます関心をそそられました。そのホームページ情報を中心にまとめてみます。
まずはその家系。祖母はポルトガルとスペインからの移民の子。祖父はDaniel Saitoという日本からの移民一世で、第二次大戦では日本人部隊で出征したそう。二人には3人の子供がいましたが、その一人がIng議員の母親で、父親はnative hawaiianですからIng議員は日本人の血が4の1のクォーターです。彼が12歳になる直前にホテルのウェイターだった父親が急死して、靴屋の店員だった母親と4人の子供の一家は貧窮します。
そこでカニエラ少年は14歳からパイナップル農園で収穫の仕事を始めます。朝4時からの過酷な作業だったとか。しかし、聡明な子供だったのでしょう、高校に進学し、さらに巨額のローンを借りてハワイ大マノア校に入学します。大学時代もアルバイトをする一方、州知事が大学予算を削ったことに対して学生代表のPresidentとして立ち上がり、4,000万ドルの予算を回復させたとも。
その後、マウイ島南部の故郷に帰り、勧められて、州議会議員選挙へ民主党から出馬します。その動機をこう綴っています。「私の島に、高校時代のチームメイトに、教会の友達、私の家族が最も助けを必要としていたときに、それを示してくれた友人に恩返しをするために決断した」
その選挙のやり方についてはこうだったと。「草の根選挙だった。家賃に充てるためフォーシーズンホテルに職を得て、朝の4時から正午までロッカールームと有酸素運動用の器具の清掃をやった。それから日没まで、近隣の人々の声を聞くためにドアをノックして回った。最終的には1万2千のドアをノックした」
そして、見事、23歳の下院議員誕生。そして現在28歳にして下院海洋資源・ハワイ問題委員会議長。ハワイ議会で最年少議長だそうです。相当なやり手とお見受けしました。
政治家ですから、誇張もあるでしょう。割り引いて見なければいけないかもしれませんが、少なくとも、両親とも医者という裕福な家庭に育ち、何の苦労もなくハーバード大に進んだザッカーバーグ氏との育ちの違いは際立っています。
そして、今回、苦学力行を経たバリバリの若手議員に、5兆円の資産を持つ、若手ナンバーワンの金持ちセレブが負けたって、まるで小説みたいな話なので、思わず、長々と書いてしまいました。
もしかすると、Ing議員、オバマ前大統領のような道を辿るかも、という微かな期待まで抱いちゃいそうです。オバマ氏もハワイ生まれのmixed bloodだし・・・ (記事引用)
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