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「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ(ジョンレノン)1972」パラノイア

  • 執筆者の写真: 外心 豊田
    外心 豊田
  • 2017年1月25日
  • 読了時間: 6分

※「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ」・1972・№2 2015年01月17日「サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ(ジョンレノン)1972」パラノイア 改訂版 参考 「ジョン・レノン」1972年発表

サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ (Sometime in New York City)1972年に発表されたジョン・レノンとオノ・ヨーコ共作アルバム。

ディスク1~:「Sometime In New York City」

女は世界の奴隷か!  Woman is the Nigger of the World (John Lennon and Yoko Ono)

シスターズ・オー・シスターズ  Sisters, O Sisters (Ono)

アッティカ・ステート  Attica State (Lennon and Ono)

ボーン・イン・ア・プリズン  Born in the Prison (Ono)

ニューヨーク・シティ  New York City (Lennon)

血まみれの日曜日  Sunday Bloody Sunday (Lennon and Ono)

ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ  The Luck of the Irish (Lennon and Ono)

ジョン・シンクレア  John Sinclair (Lennon)

アンジェラ  Angela (Lennon and Ono)

ウィアー・オール・ウォーター  We're All Water (Ono)

スタジオ・アルバム

ジョン・レノン:ギター、ボーカル

「血まみれの日曜日」(ちまみれのにちようび、Sunday Bloody Sunday )は、1972年発表のジョン・レノン&ヨーコ・オノの2枚組アルバム『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』に収録されたレノンの曲。

楽曲の概要

レノンが生まれる前、アイルランドはイギリスとの独立戦争の末に独立しているが、アルスター地方の大半だけがイギリス領北アイルランドとして残存することとなったため、これをきっかけに北アイルランド問題が起きている。レノンがソロ活動を始めた1970年代初頭には双方の紛争は激化し、アルスター地方ではイギリスからの独立を目指すテロが日常茶飯事となっていた。

そんな中で1972年1月30日に北アイルランドのロンドンデリー市で起きたのが、市民権行進に参加した非武装の13人の市民を英国軍が射殺した、いわゆる「血の日曜日」と呼ばれる事件である。「ザ・ラック・オブ・ジ・アイリッシュ」とこの曲は、この事件に憤ったレノンがアイルランドの紛争問題を全世界に告発するために書いた作品である。

歌詞の一節でレノンはイギリスを罵倒しているが、イギリスの中でもイングランド人はアングロサクソン民族、ウェールズ人・スコットランド人はアイルランドと同じケルト民族である。この歌はアングロサクソン民族のみならず、同民族に与したケルト民族をも痛罵した作品だといえる。

なお、1983年発表のU2のアルバム『WAR』に同名異曲が存在するが、これもレノンと同じ事件をテーマにして書かれた楽曲である。

ヨーロッパ~紀元前よりの歴史

「ニヌルタ」 双頭鷲の由来

怪鳥アンズーとニヌルタ

ニヌルタまたはニンウルタ(Ninurta)は、バビロニアやアッシリアで崇拝された、メソポタミア神話の、豊穣(農業・狩猟)と戦闘の神。 意味は「大地の主」。 「エンリル」と「ニンリル」(あるいは変形神話では「ニンリル」の代わりに「ニンフルサグ」)の息子。 古くは、「ニニブ(Ninib)とニニプ(Ninip)」と呼ばれ、時には、創造神・太陽神・秩序の神として描かれていた。

「ニヌルタ」はラガシュの都市神「ニンギルス」(Ningirsu)と同じ神とされている。ニヌルタ(ニンギルス)のシンボル(聖獣)は「双頭の鷲」。

ニヌルタの配偶者はニップルの「ウガルル」(Ugallu)、ニンギルスの配偶者は「バウ」(Bau)。

「ニヌルタ」の名は、聖書の登場人物「ニムロド」(Nimrod)の名の基になったと考えられている。

元来はシュメール地方を中心としてまつられた大地の神で農業や狩猟などの豊穣をつかさどった。 後に狩猟から戦闘の神の要素が派生し、後者の神として崇められるようになった。 当時(紀元前3千年紀)のメソポタミアは都市国家間の争いが激しかった上に、多数の捕虜をしばしば殺害していたために犠牲者が多く、ニヌルタの性格も時代が下るにつれてより戦闘の神としての性格が強くなり、「戦士の王」の祖形となった。

ニヌルタは銅の神・青銅器の神でもある。ニヌルタは、煮えたぎり姿を変える活きた山「クル」と戦い、「クル」が投げつけてくる緑色の石(酸化銅・緑青)を粉々に砕いて、精錬して、赤い物(純銅)に変えて、石の魔力を封じたことで、「クル」は無力な赤い姿となり、それ以降、山は楽園となった。

ニンギルスは「エンリルの洪水」とも称され(「大洪水」参照)、戦闘の神として「洪水のように諸都市を破壊しつくす」と表現されたり、グデア王の夢には「彼の下半身は洪水」という表現もある。ニンギルスの武器を「洪水」と呼ぶ場合もある。ニヌルタは、単頭のライオン頭の鷲である、怪鳥アンズーを退治する神話が有名である。

双頭の鷲(そうとうのわし、ギリシア語: Δικέφαλος αετός、ドイツ語: Doppeladler、英語: Double-headed eagle)とは、鷲の紋章の一種で、頭を2つ持つ鷲の紋章。

主に東ローマ帝国や神聖ローマ帝国と、関連したヨーロッパの国家や貴族などに使用された。現在でもセルビア、アルバニア、ドイツ、ロシアなどの国章や、ギリシャ正教会などで使用されている。

「双頭の鷲」自体は古来より存在する紋章で、知られている最古の「双頭の鷲」の図像は、紀元前3,800年頃のシュメールのラガシュの都市神ニンギルスに関するものである。 一説には、「双頭の鷲」と「単頭のライオン頭の鷲」は、同じものを表していると考えられている。紀元前20世紀から7世紀の間のシュメールや、現在のトルコ地域のヒッタイトでも使用された。また11-12世紀のセルジューク朝でも使用された。

ローマ帝国の国章は単頭の鷲の紋章であったが、その後も帝国の権威の象徴として使われ続け、(一説には、イサキオス1世コムネノスが「単頭の鷲」を故郷アナトリアの聖獣である「双頭の鷲」に変更させたとする言い伝えがある)、13世紀の東ローマ帝国末期のパレオロゴス王朝時代に「双頭の鷲」の紋章が採用された。 この紋章は元々はパレオロゴス家の家紋との説もある。東ローマ帝国における「双頭」は、「西」と「東」の双方に対するローマ帝国の支配権を表したが、実際には「西」(過去の西ローマ帝国の支配領域)の支配権を既に失っていった時代である。

東ローマ帝国の「双頭の鷲」は、ギリシャ正教会、コンスタンティノープル総主教庁、セルビア、アルバニアなどに継承された。セルビアの「双頭の鷲」の多くは白色である。

またローマ帝国の継承を自負する神聖ローマ帝国とハプスブルク家の紋章となり、更にオーストリア帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、ドイツ国などに継承された。 1472年には東ローマ帝国の姫ゾイ・パレオロギナを迎えたロシア帝国も「双頭の鷲」を採用した。東ローマ帝国滅亡後は、ロシア帝国もローマ帝国の後継を自負し、その「双頭」は、「東(アジア)」と「西(ヨーロッパ)」に渡る統治権を表した。 また16世紀にハプスブルク家出身で神聖ローマ帝国皇帝となったスペイン国王カール5世(カルロス1世)によりスペインの国章にも一時使用された。 これらハプスブルク家関連の「双頭の鷲」の多くは黒色である。

20世紀前半に、ロシアはロシア革命によりソビエト連邦に、セルビアやドイツ東部(東ドイツ)は第二次世界大戦の結果として社会主義国となり、「双頭の鷲」は皇帝の象徴として国章から削除された。しかし1990年代のソ連崩壊、東欧革命により、それぞれ復活された。

オーストリアの国章は第一次世界大戦の終わり以来、ナチス・ドイツによる併合(アンシュルス)を挟んで、オーストリアの象徴として使用されている。かつてのオーストリア・ハンガリー帝国の国章でハプスブルク家の紋章でもあった双頭の鷲は、頭ひとつの普通の鷲に置き換えられている。

その他、の国旗また紋章


 
 
 

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