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やさしど町の風景

  • 執筆者の写真: 外心 豊田
    外心 豊田
  • 2017年1月25日
  • 読了時間: 5分

小食土(やさしど) あすみが丘"昭和の森"(土気)の近代歴史

「小食土」という名の由来と地勢

a.1969年(昭和44)旧山武郡土気町大字小食土地区が千葉市に編入され,小食土町となる。小食土はかつて「矢指土」という字を使っていたが,海上郡にも同じ「矢指」という村(現・旭市)があって,たびたび誤解を受けることがあった。そこで,「矢指」の字を別の字に変更しようということとなり,村の漢学者に相談したところ,『大食の者は,バンカラだが,小食の者は心がやさしいから,いっそのこと「矢指」を「小食」の字に変えたらどうだろうか』といわれたことから,「矢指」に「小食」という当て字が使用されるようになったと伝えられる。

b.昭和44年(1969)に起立。もとは旧土気町小食土。江戸期は小食土村。矢指渡村・矢指戸村・矢指土村とも書く。地名はもとは矢指土と書いたが現・旭市矢指と混同されることが度々あったため「矢指」を別の字に変えることになった。そこで地元の漢字者に相談したところ「大食の者はバンカラだが小食の者は心が優しい、いっそのこと小食と書いてやさしと読ませたらどうか」と言われ、現在の「小食」になったという。また当地で日本武尊が間食をとったことにちなむとも。「や(谷津)・さらし(曝し)・ど(処)」の転訛で湿地のある崩壊地形という意味。

(記事引用) 大網街道は、かつての千葉東京詣への幹線ルートで、国鉄時代の鉄道と国道街道が並行に走っていて昭和30年代に賑わっていた幹線だった。 その沿線沿いに現在の「昭和の森」が出来て、さらに土気から千葉までの旧道は、大規模複合開発によって、まったく新しい住宅市街地へと変貌した。 その土地柄は古くから人が住んでいた痕跡があり、縄文土器がいたるところで発掘されていた。 そうした土地のひとつに「小食土」(やさしど)があり、普段は通りすがりの景色で気にもしなかったが、主要道路からわき道に入ると、そこはまったくの別世界異次元世界があった。 もちろん「あすみが丘」という振興住宅宅地市街地は、その中に開発され、まったく境界線一本で、そこから隔てられているが、二つの異なる生活スタイルが、道路を隔てた向こう側に存在している景色をみていると、ほとんど浦島太郎の気分だった。 天気がよかったので、その場所にいってみた(1月12日)。 昔読んだ「砂の女」(安部 公房)を彷彿とさせ、またそこには平家落人の末裔でも棲んでいそうな雰囲気がある。 まったく外部の人間が見た視点ほど迷惑な話はなく、そこで日々暮らしている住民は、平成の今に暮らしている普通の人々である。 写真画像を貼添しておくが、いたって普通の田舎の風景だ。そうした「原野」を開発して、日本は次第に姿を変えていく。 開発行為は1997年05月10日頃より始まっている。その成行きを新聞社が記事にしているが、むかしは、そうした新聞メディアが唯一の監視機能として報道を担っていた。 

以下は参考記事である。

「昭和の森」歴史のページ 朝日

●1997年05月10日 朝日新聞社

「昭和の森」に宅地用調整池  千葉市が造成計画を容認

 千葉市緑区にある全国有数の都市公園「昭和の森」の中にせり出す形で、土地区画整理事業に伴って宅地の雨水を調整する池を造成する計画が持ち上がっていることが九日、分かった。公園を管理する千葉市もこれを容認し、公園内でボーリング調査をする許可を出していた。調整池の建設が予定されている場所は、近くにカタクリの群生地もある自然が豊かな地域になっている。計画が進めば、民間が主体となって進める宅地などの造成事業の都合で、市民の憩いの場の貴重な自然の一部が失われることになる。

 土地区画整理事業は、ある一定の区域を決め、権利が入り組んだ土地を組みかえて、整然とした宅地や公共施設などを配置する開発方法。現在、千葉市緑区の「あすみが丘」団地と、昭和の森の間の約八十五ヘクタールの土気東地区で、地権者約三百五十人が準備を進めているという。

 地権者たちは、区画整理を行うための組合設立準備委員会(会長・花沢三郎県議)を作っていて、計画をすすめていく実質的な業務は東急不動産が代行している。現在の計画案では、住宅用地を三千六百二十戸分用意する予定で、一万五百人が住む見通し。こうした宅地建設に伴って、宅地の雨水が一気に下流の村田川に流れ込まないように一時ためておく調整池が必要になるため、その一つを昭和の森にまたがる形で建設する計画がたてられている。千葉市区画整理指導課によると、調整池の全体の面積は約一・一ヘクタールで、このうち約〇・三ヘクタールが公園の西側の一部に入る見込みだという。

 こうした計画案について、行政側はまだ施行決定を出しておらず、千葉市の要綱で定められている環境影響評価も、準備委などからでてきた書類について千葉市側が検討を進めている途中だという。

 一方で、千葉市は、事業の実現を見込んで準備委員会側が出してきた公園内での地質調査申請をすでに認めている。準備委側は今月七日から、地質調査を始めている。千葉市緑政課は「(池が公園内に食い込むことが)当初はマイナスと受け止めたが、組合が用意する土地のプラス面の方が大きいと考えた。区画整理事業終了後に公園に移管される六・一ヘクタールの緑地については、組合側にできるだけ自然の植生を残すよう求めている」と話している。

 千葉市公園管理課が発行している「昭和の森」公園のパンフレットによると、昭和の森は千葉市の中心部から東南に約十八キロの地点に位置し、面積は約百一ヘクタールで市内最大。「公園の一部が県立自然公園に指定され、良好な自然環境が残されているため、四季を通じて草花や樹木、野鳥や昆虫など多くの種類の植物や生き物が見られる」という。

 社団法人日本公園緑地協会は八九年に、同公園を「日本の都市公園百選」の一つに選んでいる。

●1997年05月11日 朝日新聞社

大切な場所になぜ  関係者が疑問の声 「昭和の森」調整池計画

 千葉市緑区にある都市公園「昭和の森」の敷地内に、隣接地域の宅地造成に伴って雨水調整池の建設が計画されている問題で、地域の自然環境に詳しい関係者から「どうして市民にとって大切な場所に造らなくてはいけないのか」と計画を疑問視する声が出ている。現地は珍しい植物が群生しているほか、「荻生徂徠(おぎゅう・そらい)の井戸」があったという伝承も残っているなど貴重な場所だという。昭和の森で毎月、自然観察会を開いている市民グループのメンバーたちは急きょ、十一日の定例観察会後、調整池の建設予定地を視察することにした。

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