曜変天目茶碗
- 外心 豊田
- 2016年12月22日
- 読了時間: 9分
曜変天目茶碗の定義
曜変天目茶碗は、天目茶碗のうち、最上級とされるもの。略して曜変天目と呼ばれることもある。なお、「曜変」は「耀変」と書かれることもある。
漆黒の器で内側には星の様にもみえる大小の斑文が散らばり、斑文の周囲は藍や青で、角度によって虹色に光彩が輝き、「器の中に宇宙が見える」とも評される。曜変天目茶碗は、現在の中国福建省建陽市にあった建窯(中国語版)で作られたとされる。
現存するものは世界でわずか4点(または3点、後述)しかなく、そのすべてが日本にあり、3点が国宝、1点が重要文化財に指定されている。いずれも南宋時代の作とされるが、作者は不詳である。形状、大きさがいずれも酷似していることから、同一人物の作ではないかとも言われる。日本では室町時代から唐物の天目茶碗の最高峰として位置付けられている。
南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ現存し、焼かれた中国には残っていないのか(器が割れ欠けている完全でない状態のものは発見されている)、大きな謎として残っている。
中国では曜変天目は不吉の前兆として忌み嫌われ、すぐに破棄されたために中国に現存せず、わずかに破壊の手を逃れたものが密かに日本に伝来した、とする説も唱えられたが、後述の中国での陶片の出土状況から南宋時代の最上層の人々に曜変天目が使われていたことが示唆されている。
曜変と呼ばれる条件
「曜変」とは「天目」という言葉と同じく日本で作られた言葉で、中国の文献には出てこない。日本で曜変という言葉が使われた最も古い文献は室町時代の「能阿相伝集」である。
曜変とは、建盞の見込み、すなわち内側の黒い釉薬の上に大小の星と呼ばれる斑点(結晶体)が群れをなして浮かび、その周囲に暈天のように、瑠璃色あるいは虹色の光彩が取り巻いているものを言う。この茶碗の内側に光を当てるとその角度によって変化自在、七色の虹の輝きとなって跳ね返ってくる。これが曜変天目茶碗にそなわっていなければならない不可欠の条件である。
本来、「曜変」は「窯変(容変)」と表記され、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指すが、その星のような紋様・美しさから、「星の瞬き」「輝き」を意味する「曜(耀)」の字が当てられるようになった。この様な紋様が現れる理由は、未だに完全には解明されていない。また、この紋様が意図的に作り出されたものか、偶然によるものかは議論がわかれている。
茶人の高橋箒庵は茶道具の名品集「大正名器鑑」を編修して、その中に6点の曜変天目茶碗をあげているが、本来油滴に分類されるべきものも含まれており、前記の条件に厳格に当てはまるのは後述する国宝に指定されている3点のみである。 これは『完全な形で残る』曜変天目が3点という意味で、『4分の3』など完全に近い曜変天目は他にも存在する。
2016年12月20日放送の開運!なんでも鑑定団で、古美術鑑定家の中島誠之助が鑑定品を4点目だと断言し、話題になった。
現存する曜変天目茶碗
静嘉堂文庫蔵
稲葉天目の通称で知られ、曜変天目茶碗の中でも最高の物とされる。元は徳川将軍家の所蔵で、徳川家光が病に伏せる春日局に下賜したことから、その子孫である淀藩主稲葉家に伝わった。
そのため、「稲葉天目」と呼ばれるようになった。その後、1934年に三菱財閥総帥の岩崎小弥太が購入し入手したが、岩崎は「天下の名器を私如きが使うべきでない」として、生涯使うことはなかったという。現在は静嘉堂文庫所蔵。国宝。なお、近年オープンした東京丸の内の三菱一号館内「三菱センター デジタルギャラリー」ではデジタルコンテンツとして常時閲覧することができる。
藤田美術館蔵
水戸徳川家に伝えられたもので、曜変の斑紋が外側にも現れている。 1918年に藤田財閥の藤田平太郎が入手し、現在は藤田美術館所蔵。国宝。
大徳寺龍光院蔵
筑前黒田家の菩提寺、大徳寺塔頭龍光院に伝わったもの。国宝。堺の豪商津田宗及が当初は所持していたとされるが詳細は不明。開基した黒田長政が博多の豪商、島井宗室(博多三傑)の縁でこの院に帰した説もある。国宝とされる三椀の曜変天目茶碗のうち、最も地味なものであるが、幽玄な美しさを持つとされて評価が高い。通常非公開であり、鑑賞できる機会は稀である。
MIHO MUSEUM蔵
加賀藩主前田家に伝えられたもの。重要文化財。大佛次郎が所蔵していたもので、現在はMIHO MUSEUM所蔵。なお、この天目茶碗を「曜変」と呼ぶかどうかは議論があり、「油滴天目ではないか」とする意見もある。
※前田家伝来、大佛次郎が所蔵していた曜変天目茶碗。 出典:文化遺産オンライン
http://nazo108.sblo.jp/article/114620213.html

失われた曜変天目茶碗
現在、世界で4点(または3点)しか現存しない曜変天目茶碗だが、記録によればもう1碗あったと考えられる。足利義政から織田信長へと、時の最高権力者に所有された天下第一の名椀であったが、信長がこれを愛用し、持ち歩いたため本能寺の変で他の多くの名物と共に焼失してしまった。
復元の試み
1953年に発表された小山富士夫と山崎一雄による論文「曜変天目の研究」において、ミシガン大学教授のJ.Mプラマーが1935年に建窯窯址から採取した光彩の生じた陶片の釉の定量分析により、光彩発生の原因であると見られていた、鉛やタングステンは存在していない。
また、大徳寺龍光院の曜変天目の観察により、青紫色の光彩は釉上の薄膜によって生じた光の干渉による色である。とする分析結果を明らかにして以降、多くの陶芸家がその復元を試みてきたが、焼成のメカニズムの完全な解明や、実物と同様の光彩や斑紋を持つ茶碗の再現は実現していない。
2002年、岐阜県土岐市の陶芸家、林恭助が、一度黒い茶碗を焼いた上で二度焼きをするという手法を用いて曜変天目に近づいた作品を発表した。
2012年10月、愛知県瀬戸市の陶芸家、九代目長江惣吉が、中国江西省景徳鎮市で開かれた国際シンポジウムにおいて曜変天目の焼成方法に関する発表を行った。建窯の周辺で産出される蛍石を窯に投入する方法で、蛍石の化学変化により発生するフッ素ガスによる釉面の腐食により光彩が現れるというもの。
(資料ウィキぺデア) 瑠璃色の曜変 その他「曜変天目茶碗」に関する記述
静嘉堂文庫美術館
「曜変」とは、元来「窯変」を意味した言葉とされ、文献で「星」または「輝く」を意味する「曜」の字が当てられるようになるのは、15世紀前半頃からである。室町時代の文献『君台観左右帳記』において、「曜変」は、唐物茶碗「土之物」(陶製の茶碗)のうち、もっとも貴重で高価な茶碗として、分類格付けされてきた。福建省建窯の焼成品で、これは偶然の所産と見られている。
静嘉堂文庫美術館所蔵の曜変天目(茶碗)は、もと徳川将軍家所蔵であったものが、三代将軍・家光の時代、春日局を経て、後に淀藩主となる稲葉家へ伝えられたとされる。今日、世界中で現存する曜変天目(完形品)は、日本にある三碗のみ、京都・大徳寺龍光院、大阪・藤田美術館所蔵の各一碗と本碗で、すべてが国宝に指定されている。
「桜真太郎サイト」~ http://nazo108.sblo.jp/article/114620213.html
古文書より
足利義政所蔵の茶碗が織田信長へ譲られたものです。当時の最高権力者に所有された天下第一の名椀です。信長はこれを愛用し他の茶道具とともに持ち歩いていました。これは残念ながら、明智光秀が起こした本能寺の変で他の多くの名物と共に焼失してしまったとされています。
義政の宝物台帳と言われる「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」の「土之物」には次のように書かれています。曜変天目茶碗の解説には必ず引用される有名な記述です。
「曜変、建盞の内の無上也。世上になき物也。地いかにもくろく、こきるり、うすきるりのほしひたとあり。又、き色・白色・こくうすきるりなとの色々ましりて、にしきのやうなるくすりもあり。萬疋の物也。」
かなを漢字に直すと次のようになります。
「曜変、建盞の内の無上也。世上になき物也。地 如何にも黒く、濃き瑠璃、薄き瑠璃の星ひたと有り。また、黄色・白色・濃く薄き瑠璃などの色々混じりて、錦のやうなる釉薬も有り。萬疋の物也。」
現代文に訳すと次のような意味になるでしょうか。
「曜変天目は建窯で作られた天目茶碗の中の極上品である。世間にはない本当に珍しいものである。地色は大変黒く、濃い瑠璃色や淡い瑠璃色の星型の斑点が一面にある。また、黄色や白色、濃い瑠璃色や薄い瑠璃色など、様々な色彩が混ざって、絹のように華やかな釉色もある。反物一万匹にも値する。」
※建盞(ケンサン):中国福建省にあった建窯で、宋・元代に作られた天目茶碗。曜変天目・油滴天目などが有名。また、天目茶碗の総称。
室町時代に貨幣の代わりとして使われていた、反物一万匹がどれほどの価値か想像できませんが、極めて高価な品であったことは間違いありません。
当時の貴族が、曜変天目をどのように評価していたか、またどんなに大切していたかが良く判る一文です。漆黒の地色に散らばる瑠璃色の星、絹のように煌めく釉薬の美。曜変天目茶碗の美しさにどれほど魅了されたのでしょう。
(記事引用)
※筆者後記 本来「曜変」は「窯変(容変)」と表記され、陶磁器を焼く際の予期しない色の変化を指すが、その星のような紋様・美しさから、「星の瞬き」「輝き」を意味する「曜(耀)」の字が当てられるようになった。この様な紋様が現れる理由は、未だに完全には解明されていない。また、この紋様が意図的に作り出されたものか、偶然によるものかは議論がわかれている。 「曜変天目は建窯で作られた天目茶碗の中の極上品である。世間にはない本当に珍しいものである。地色は大変黒く、濃い瑠璃色や淡い瑠璃色の星型の斑点が一面にある。 また黄色や白色、濃い瑠璃色や薄い瑠璃色など、様々な色彩が混ざって、絹のように華やかな釉色もある。反物一万匹にも値する。」
二例の引用文を抜書きしてみたが、妖艶とよぶにふさわしい「生き物」像が浮かび上がる。 さらに「この世に二つとない」ことが希少価値として存在していることが人を惑わせるのだろう。 またご当地中国では、中国では曜変天目は不吉の前兆として忌み嫌われ、すぐに破棄されたために中国に現存せず、わずかに破壊の手を逃れたものが密かに日本に伝来した、とする説も唱えられたが、後述の中国での陶片の出土状況から南宋時代の最上層の人々に曜変天目が使われていたことが示唆されている。 と説明しているように、古来より呪術に支配されていた国の性質からして「祟り」は恐ろしい世界観であったことだろう。結果的に現地に残っていないことが、存在価値を高めている。 こと、陶器に限らず本家で生まれたものが分家(日本)のみ残存して、その素性もわからない、ということがしばしばある。とくに「雅楽」など古典形式を頑なに維持しているのが唯一日本、とされている。
リンク曜変天目茶碗(耀変)
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